消えた漫画家20選!引退理由や現在やその後についても調査!

日本で多くの漫画が出回り数えきれないほどのヒット作が多く存在しています。

漫画は日本文化と言われる程、馴染みがあり多くの漫画家が存在しています。

今回は消えてしまった漫画家をまとめ、なぜ消えてしまったのかその後はどうしているのかを見ていきたいと思います。

 

水島新司

ドカベン

水島新司の代表作は「ドカベン」

週刊少年チャンピオンで1972年から1981年まで連載していたドカベンは、野球漫画の代表と言えるほど人気作品です。

小学生から年配の大人まで幅広く人気でアニメ化・映画・ゲーム化など多くの人に親しまれています。

水島新司は昭和33年、18歳で漫画家デビューしました。

現在81歳の水島新司は高齢のため、2020年12月1日に引退発表され63年間と長い漫画家生活に幕を下ろしました。

代表作のドカベンは野球界を盛り上げ、多くの男性を野球ファンへと導いた水島新司。

引退発表をすると引退を惜しむ声以上に感謝やいたわりの声が寄せられました。

のむらしんぼ

つるピカハゲ丸

 

1979年にコロコロコミックでデビューしたのむらしんぼ。

読み切り漫画「ケンカばんばん」で小学館新人コミック大賞に入賞しその後コロコロコミックで「とどろけ!一番」の連載がスタートしました。

のむらしんぼの代表作は「つるピカハゲ丸」です。

小学生男子がいかにもすきそうなキャラと読みやすいギャグ漫画でアニメ化するなど絶大な支持をされていました。

つるピカハゲ丸の連載が終了後、なかなかヒット作が作成できずにスランプに陥ってしまいます。

1988年に漫画会社「しんぼプロ」を設立していますが一気に漫画が低迷した事もあり借金漬けとなってしまいました。

人気漫画家から一転、借金生活になってしまったのむらしんぼは2016年8月29日放送「しくじり先生俺みたいになるな」に出演し壮絶な人生を語っていました。

徳田ザウルス

ダッシュ四駆郎

コロコロコミック夏み増刊号で読み切り漫画「走れ!前ちゃん」でデビューした徳田ザウルス。

11月に読み切り漫画「前ちゃんのミニ四駆大作戦」を掲載し翌月から初の連載漫画「ダッシュ!ミニ四駆郎」がスタートしました。

連載期間は1987年12月から1992年3月で男性ファンがとても多くアニメ化もされました。

1992年3月に連載終了している徳田ザウルスだが、1992年1月に突然倒れ漫画活動の継続が困難となりました。

なんとか掲載を終了させたものの、1995年に持病が悪化してしまいます。

1995年にチラシ掲載漫画「信ダッシュ!四駆郎」が打ち切り。

その後1997年に少年誌で掲載されていた「ダッシュボーイ天」も打ち切りになってしまい漫画家活動が本格的にできなくなってしまいました。

漫画活動が厳しくなってしまい細々とデザイナー業をしていた徳田ザウルス。

特に引退宣言はなかったが、2006年3月に心不全のため死去してしまいました。

 

ひかわ博一

星のカービィ

ピンクで丸いかわいいフォルムが現在でも根強い人気を誇る星のカービィ。

現在でも人気のカービィを生み出した「ひかわ博一」

代表作である「星のカービィ デデデでプププな物語」は1994年~2006年と12年もの間連載されコロコロコミック看板漫画としても大人気でした。

アニメ化やゲーム化を果たしましたが、連載12年目に突然の漫画家引退をしてしまいます。

つるピカハゲ丸作画の、のむらしんぼのアシスタントをしていたひかわ博一は当時、漫画家を辞めたいと相談していました。

連載後期には絵柄がガラッと変わったり突然の連載終了にひかわ博一は相当病んでいたのではとファンの中では心配の声が寄せられました。

実際、連載後期にはひかわ博一のモチベーションが低迷、ペン入れができなくなってしまったと自身でお話をしています。

それでも連載ができていたのは1人にアシスタントに作画を任せていたからと当時の事を振り返ります。

任せきりの状態が続き、便りだったアシスタントも辞めてしまい連載の継続が出来なくなり漫画家を引退してしまいました。

矢沢あい

 

NANA

多くの女性ファン、支持がある矢沢あい。

代表作は「NANA」「ご近所物語」「パラダイスキス」と多くの作品があります。

1985年に「りぼんオリジナル早春の号」に掲載された「あの夏」でデビューを果たします。

矢沢あいの少女漫画は多くの女性ファンを虜にしNANAはアニメ化や実写映画化されました。

他にもご近所物語やパラダイスキスも実写映画化され度々話題になっていました。

順調に漫画家活動をされていた矢沢あいですが2009年6月に当時大人気だった「NANA」の休刊を発表されました。

休刊理由は矢沢あいの急病でした。

突然の連載停止と復帰のめどが立たない状況に多くのファンが困惑していました。

そして休刊して10年以上経った今現在も復活の予定はなくこのまま引退なのか、もうNANAの続きはないのかと多くのファンが復帰を待ち望んでいます。

中崎タツヤ

じみへん

1978年に週刊漫画TIMESでデビューを果たしました。

中崎タツヤのデビュー作は「無題」代表作は「じみへん」です。

シュールなギャグ漫画で読みやすいと30代40代のサラリーマンなどに人気が中心していました。

1992年には「問題サラリーMAN」第38回文藝春秋漫画賞受賞をしました。

じみへん連載26年目となる2015年に還暦を迎えた中崎タツヤは漫画家をします。

中途半端が嫌いな中崎タツヤは引退後すぐに漫画道具を処分、著者や原作も全て処分。

今後漫画を描く事はないと断言しています。

 

火村正紀

はじめての甲子園

2004年7月月号「月刊少年ガンガン」で「まじかるきんぐこおるとリューホー」で第4回スクウェア・エニックスマンガ大賞の準大賞を獲得した火村正紀。

2006年から月刊少年ガンガンで「はじめての甲子園」を連載します。

2009年に連載が終了しアニメ化され火村正紀の代表作となりました。

男性の名前で活動してますが2011年には「新木場ユキ」ともう一つの名義で活動を始め女性だったと言う事が判明しました。

2011年には新木場ユキとして「ガンガンONLINE」に「シンデレ少女と孤独な死神」の連載がスタートします。

漫画家として活躍していた火村正紀でしたが2012年10月に体調不良によって病院を受診。

その後も体調の変化が見られず2013年に卵巣ガンと診断されます。

ガンの発見により2013年3月に無期限休載が正式に発表されました。

2013年5月16日より自身の闘病生活を残したいとガンガンONLINEに「入院ノート」の連載を再開。

入院ノートを連載しながら闘病していましたが2015年6月17日に卵巣ガンで死去しました。

 

澤井啓夫

ボボボーボ・ボーボボ

2000年に「赤マルジャンプ」で読み切り漫画「山中臭活劇」でデビュー。

その後少年ジャンプで2001年から2007年まで連載された「ボボボーボ・ボーボボ」

インパクトの強すぎる漫画名に漫画キャラクターにぶっ飛んだギャグ漫画で小・中学生を中心に大人気となりました。

幼い頃から絵を描く事が好きでしたが、絵が下手と自認しておりデビューしてからも絵の下手さが不安だったそうです。

絵で勝負できない澤井啓夫はとにかく笑いを取ろうとボボボーボ・ボーボボさせたらアニメ化やカードゲーム化するなど大ヒット作品になりました。

ボボボーボ・ボーボボ連載終了後は2008年から少年ジャンプで「チャゲチャ」を連載しますが少年ジャンプ史上最速の8話という短さで連載が終了します。

 

その後連載漫画を描くもヒット作品につながるものはなく現在は充電期間なのか漫画活動をしているのかは謎に包まれています。

柴田亜美

南国少年パプワくん

1991年4月から1995年6月まで月刊少年ガンガンで連載されていた「南国少年パプワくん」

柴田亜美の代表作の南国少年パプワくんはアニメ化するなど幅広い世代から人気がありました。

累計発行部数600万部以上、続編となる「PAPUWA」も出版しています。

漫画家として好調な柴田亜美でしたが、多々「漫画家を辞める」と発言している事がありました。

自身のお店を持つ事が夢だった柴田亜美は漫画家を辞め2016年にプライベートサロン「ボディオートクチュールami」を開設しました。

店舗経営者、美容家として活動しましたが現実は難しく2018年9月末にお店を閉店します。

その後漫画家に戻る事のなかった柴田亜美の消息は不明でした。

柴田亜美の現在が分かったのは2020年7月。

彼女はYouTuberとして戻って活躍をしています。

槙ようこ

愛してるぜベイベ

1999年に少女漫画「りぼん」で第354回りぼんNEW漫画スクール佳作、第71回SB賞を受賞するなど当時高校2年生で脅威的な才能を見せた槙ようこ。

受賞した作品は槙ようこのデビュー作でもある「ラブサービス!」です。

その後は漫画家として数々の作品を世に放ち一気に少女漫画の人気作家となりました。

2002年にはりぼんで「愛してるぜベイべ★★」の連載がスタートし世の女の子が多く虜になりました。

3年間の連載に、2004年にはアニメ化されるなど槙ようこの代表作となったのです。

2007年にはりぼんで「山本善次郎と申します」の連載がスタートしましたが1年後の2008年に体調不良により休刊となります。

突然の休刊と槙ようこの体調不良に多くのファンは悲しみ復帰を願う声が多く寄せられました。

約1年の休刊後、見事復帰を果たし本篇の再開は単子本での描き下しが発表され、2011年に無事に完結ができました。

その後は体調不良になる事もなく、順調に連載をこなし2019年8月に当時連載されていた「きらめきのライオンボーイ」の終了と共に漫画家引退を発表します。

自身のインスタグラムで引退発表した槙ようこですが、はっきりとした引退理由は語っていませんでした。

引退にあたり「前向きな気持ち」と公言していたので漫画家20周年を節目に引退を決意したのでしょう。

ガモウひろし

とってもラッキーマン

1985年「フレッシュジャンプ」で「臨機応変マン」でデビューしたガモウひろし。

ガモウひろしの作品はヒーローを主人公としたギャグ漫画を得意としており、男性の若い世代から

年配の方に人気となってしまいました。

1993年から1997年に少年ジャンプで連載された「とっても!ラッキーマン」が代表作となります。

1994年にはアニメ化されるなど多くの人に認知され始めました。

ですが、1997年にとっても!ラッキーマンの連載が終わるとその後なかなかヒット作に恵まれず苦労します。

漫画家として仕事につながる事が難しくなり2008年に絵本「でたーわんつーぱんつくん」での活動から消息不明となっています。

正式な引退発表はありませんが、活動をしている様子がないので事実上引退なのではと言われています。

佐藤正

燃えるお兄さん

1987年に少年ジャンプで「燃える!お兄さん」で連載デビューを果たしました。

初の連載でしたが燃える!お兄さんは人気作品となりアニメ化、ゲーム化され佐藤正の代表作となります。

漫画は1987年から1991年連載されました。

連載終了後は少年ジャンプで連載されるが2回連続で打ち切り、その後ヒット作は作り出せませんでした。

その後漫画家としての活動はなく、公式発表はされていないが事実場の引退とファンは思っています。

漫画活動はもちろん、現在何をしているのかも全く不明となっており佐藤正としての活動は今後見られないのではないか。

 

岡崎京子

ピンク

1983年に漫画家デビューした岡崎京子。

優れた作品に画力の美しさに多くの女性ファンを虜にし、多くの作品を発表しました。

岡崎京子の人気作品「pink」「ヘルタースケルター」「危険な二人」など代表作となる作品が多くあります。

順調な漫画家生活でしたが1996年に交通事故で重傷を負ってしまいます。

大型四輪自動車にひき逃げされ自力で呼吸できないほどの重傷、意識障害に陥りました。

事故が原因で漫画家活動が不可能になってしまった岡崎京子はここで漫画家生命を絶ち去る得ない状況になってしまいました。

その後漫画家として活動する事はありませんが2003年には「文化庁メディア芸術祭・マンガ部門」で優秀賞を獲得。

2004年「第8回手塚治虫文化賞」でマンガ大賞を受賞するなど活動後も彼女の作品は生き続けています。

漫画活動を終了して20年以上経つ現在も過去の作品が復刊され、2012年には「ヘルタースケルター」が映画化され更なる人気作品となりました。

新沢基栄

ハイスクール奇面組

漫画家に憧れを抱いていた新沢基栄は集英社に作品を投稿し、フレッシュジャンプ賞の受賞を逃すも少年ジャンプの編集者の目にとまり見事に漫画家デビューをします。

デビュー作は1980年少年ジャンプで「3年奇面組」です。

3年奇面組が終了後、続編となる「ハイスクール!奇面組」がスタートし学生を中心に人気作品となりアニメ化もしています。

その後、疾患だった腰痛が悪化するなど毎度締切日に追われる生活をしていましたが辛うじて連載は続行していました。

そんな苦し紛れの生活を続けている最中、「奇面組」の原稿を紛失。

生活面や責任感を重く見た集英社と相談した結果、奇面組は1987年に連載を終了します。

その後休養期間を設け、1988年に連載を再開します。

「ボクはしたたか君」の連載を再開し人気作品となりますが、再び腰痛が悪化してしまい未完のまま打ち切りとなってしまいました。

その後休養しては連載の繰り返し生活でしたが休載が多く2005年6月に漫画家を中断しました。

まつもと泉

気まぐれオレンジロード

1984年に少年ジャンプで「きまぐれオレンジロード」の掲載がスタートします。

当時珍しかったカラースクリーントーンを多く使用しデザイン性の高いカラーページは大きな反響を呼び、注目をあびました。

特に男性からの支持が絶大で瞬く間に代表作ともいえる人気作品となりました。

その後も数々の連載漫画を手掛けていたまつもと泉でしたが、2000年に謎の体調不良に襲われます。

長い間休養していたまつもと泉は2004年に「脳脊髄液減少症」が判明。

病気が判明すると「漫画の力でこの病気の事を伝えたい」と講演会を開いたり闘病生活の記録に奮闘しました。

徐々に回復をみせ、2015年に心房細動の持病を持っている事を公開、手術をし見事に回復に向かっていると報告しています。

回復に向かっている矢先、2016年8月に事故にあい頭部を強打。

脳脊髄液減少症が再発し3か月寝たきり状態で自宅治療を行っている事を明かしました。

漫画家引退の宣言はしていませんが、事実上の引退に多くのファンは悲しみました。

 

ジョージ秋山

銭ゲバ

1966年に別冊少年マガジンで「ガイコツくん」でデビューを果たします。

1967年に連載を依頼された「パットマンⅹ」がヒットし1968年、講談社児童漫画賞を受賞するなど才能に恵まれているジョージ秋山。

その後も数々の連載をこなし、1970年3月に週刊少年サンデーで「銭ゲバ」、8月から週刊少年マガジンで「アシュラ」を連載がスタートするなど人気振りが伺えます。

また今までの作品と内容やビジュアルが変わり世間の注目を集めました。

1971年週刊少年サンデーで「告白」を連載。

その後全ての連載を終了させ一時的な引退を宣言します。

引退理由は日本一周の旅に出る事でした。

旅にでた3ヶ月後には漫画家活動を再開し再び多くの連載漫画を受け持ち数々の作品を生み出しました。

最後まで漫画家として活動し数々人気作品を世に放ちアニメ化、実写ドラマ化など天才的な活躍を見せていますが2020年5月に77歳と高齢のため死去しました。

中尊寺ゆつこ

スイートスポット

1987年「週刊漫画アクション」「ビジネス・ジャンプ」の新人賞に自ら応募し見事に入選し漫画家の夢を掴んだ中尊二ゆつこ。

1989年「SPA!」で「スイートスポット」を連載します。

OLを題材にした漫画は20代、30代に女性に絶大に支持され代表作となりました。

同作で描かれた「オヤジギャル」は女性の「オヤジ化」を表現した新語として話題になり社会現象にもなりました。

また、1990年の新語・流行語大賞新語部門・銅賞を受賞しました。

1993年からは拠点をアメリカ・ニューヨークに移し英語の取得、漫画でアメリカやアフリカ各国のポルノも手掛けました。

1995年、パワーアップして帰国した中尊二ゆつこは漫画にテレビのコメンテーターとして幅広く活動しました。

ですが2004年の夏、S状結腸癌に侵されてしまいます。

執筆活動をしながら闘病生活をしていましたが、2005年1月31日に病気で死去してしまいます。

帯ひろ志

ゴエモン

1982年、少年ジャンプで「星の王子さま」でデビューします。

その後コミックボンボンで「がんばれゴエモン」は幅広い世代から人気を集め長期連載となり、帯ひろ志の代表作となります。

帯ひろ志とは別名義で「本能猛(ほんのうたける)」で成人向け漫画を描いていた事でも有名です。

本能猛での執筆は帯ひろ志とは全く違く、ネットオークションでは一時プレミアがつくなど人気漫画家になりました。

2007年から東京工学院専門学校でマンガ科講師、2008年には社団法人日本漫画家協会広報など多様な活動をはじめました。

活動の最中、2007年8月に脳梗塞で倒れ、さらに糖尿病も発覚します。

病気の発覚後も後遺症に苦しみながらも活動を続けます。

その後2014年8月、突然に脳幹出血をおこし手術するも翌日に死去してしまいます。

こせきこうじ

山下たろう

1978年「ああ一郎」が第16回手塚賞準入選し1980年に同作品でデビューを果たします。

スポット漫画を得意とするこせきこうじは1年おきのペースでどんどんスポーツ漫画を連載していきます。

特に大きなヒット作は打ち出せなかったものの、読みやすいスポーツ漫画、野球漫画は多くの男性に親しまれています。

2008年には下北沢駅南口周辺で妻と2人で色紙売りや似顔絵描きをしていた事もあります。

この事については、金銭目的ではなくファンの方との交流を楽しみたい、直接お話がしたいと思い行動に至ったそうです。

現在は漫画家活動も似顔絵描きも動きがなく消息は不明です。

青山景

スウィート

2003年「茶番劇」で第一回「イキマン」を受賞し漫画家デビューをしました。

今どきっぽさの作画が若い世代を中心に人気を集めました。

2004年に「月刊IKIK」で「ピコーン!」を漫画化し、2005年には現役IKIKで「SWWEEET」を連載しました。

その後も「ストロボライト」「チャイナガール」を連載。

順調な漫画家生活を送っていました。

2010年に「イブニング」で「よいこの黙示録」連載し宗教を題材にするなど注目を集めました。

翌年2011年10月9日、講談社関係者と青山が連絡が取れないと相談があり自宅を捜索すると浴室で首を吊っているのが発見されました。

32歳の若さで自らの命を絶つ選択をした青山景に多くのファンは悲しみました。

 

 

以上が消えた漫画家20選のまとめになります。

漫画家と聞くと、好きな漫画を描いて生活できるなんて華やかな生活にみえますが実際はそうではありません。

好きだからこそ病んでしまったりヒットに恵まれず断念したり、見えない所で漫画家たちは葛藤し必死に漫画を描いてるのがわかります。

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